福島でカウンセリングをさせていただいています。 となりのカウンセリング福島です。
出来る限りの愛情を注ぎ続けなければならない、本人もそれを望んでいると思ってしまいます。しかし、それは現実的には不可能なことです。常に愛情を注ごうとすると、対応する側も息切れしてしまいます。当人も表面では愛情を求めていながら、その渇望に苦しんでもいます。
※相手が求めていることを何でもかなえてあげようとすること。
例えば、アルコール依存では、本人はアルコールを強く求めていますが、本当にお酒が好きだから求めているわけではありません。
飲酒の渇望は偽の願望と言えます。願望通りにアルコールを与えられることは本人にとって、苦しいことでもあるのです。
愛情への渇望も見捨てられ不安によって換起されたある意味、偽の欲求であり、本当は当人もそのようなことは求めていない可能性もあります(ただし表面的には愛情を強く求めていますが)。
飲酒⇒激しい自己嫌悪⇒嫌悪を和らげるための飲酒 という悪循環のように、
愛への渇望 ⇒ それが満たされない失望 ⇒ さらに愛を渇望するという悪循環があるようです。
周囲が『何とかしてあげたい』と思う気持ちも、実は誘発された症状であり、何とかしようとすることは、逆に問題を促進しています。
なんとかしてあげたいと思う気持ちがあるときは、少し立ち止まって距離(※これが自立を促す)を取ることが必要です。
大切なことは、愛情の程度では低くてもよいから安定して接することです。
『愛情』というとどうしても力みや過剰な要求を誘発します。
『愛情』よりは、『関心』をもって見守ることが大切です。
そして、できるだけ一貫している(※テンションをニュートラルで接する)こと、関係性がニュートラルであることです。
これまでの関係性から先入観で接することなく、ありのままを受け止めるようにします。
自然の事物がそうであるように、求めても強くは働きかけては来ないが、
いつも同じようにたたずんでいるという
一貫した状態で接するようにしましょう。
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